中国建国60周年記念式典の数日前

10月1日は中華人民共和国が成立した日。すなわち、中国の建国記念日になる。国慶節とよばれている。今年の国慶節は60回目で中国は建国60周年を向かえ、例年よりも盛大な記念式典を開催した。

ちなみにこの国慶節の前の週末、私用で北京を訪れていたのだが、時間が取れて天安門広場近くまで行くことができた。天安門広場前の東西に横切る大通り沿いに歩いてみたのだが、なかなかものものしかった。
まず、その大通り沿いの駅にたどり着くために地下鉄に乗ったのだが、地下鉄の駅の入り口でX線によるX線荷物検査(飛行機乗るときのアレ)を実施していた。

結構まじめに実施しているみたいで。実際僕は水の入ったペットボトルを持っていたのだが、中身の安全性を確かめるために、検査院の前で水を飲まされた。ここで「喝一口」って言われた。この発音カタカナで書くとハーイーコウだ。なので「喝一口」とは聞き取れた。しかし初めて聞いた。「一口」ってのをなんとなく一気に飲み干せって言ってるように思えた。なので勢いよくペットボトルをまっさかさまに口に突っ込み飲み始めると、検査員は驚いて「喝一口!喝一口!」と繰り返す。それでやっと、「喝一口」の意味がわかった。日本語と同じ「一口(ひとくち)」って意味だったのだ。まだまだ勉強が足りんですわ。
あとこんな広告もあった。

そして地下鉄に乗り込んだのだが、これが混んでた。

まあ、ちょうど通勤時間帯にぶつかってたからしかたないけどね。中国では北京の地下鉄と上海の地下鉄に乗ったことがあるけど、何となく客層の違いを感じた。北京のほうが低所得層の人の割合が多かったように思える。国慶節も近く、出稼ぎに来ていた人たちで家路についている人が多かったのかも知れないけどね。

でっかい麻袋をぶら下げた、かなり日焼けをした人が多くいた。

建国門駅で下りた。
駅をでると、いかにも軍っぽいカーキ色の車が止まってる。写真を撮ったら見つかって「不能拍照」(撮影禁止!)といさめられるが特に写真を削除されることもなかった。一度パリ北駅で泥棒が警察に捕まっているところを写真でとったら見つかり、削除させられたのだが、それにくらべると警戒は弱い。あくまでお祝いごとだからかだろうか?中国では、一般大衆の機密漏洩に関しての意識が結構低いのかもしれない。逆にいうと結構大らかなのだ、秘密ごとに関して。結構開けっぴろげな人が多いと個人的には思っている。

それから、天安門広場へ向かって西へ西へ歩いていくのだが、警備の人が多い。

ボランティアの警備の人も沢山いる。もう20〜30メートルごとに。
「首都治安志愿者」ってシャツ着てボランティアされてます。

ボランティアの人々。

しかしこの警備してる人たちかなり思い思いに過ごしている。
↓新聞読んでる。

↓DSやってる。

↓こんなのもいた。

とはいえ、下のような写真の方々もおられ並々ならぬ警備体制であることを思わせた。

それから、仮設トイレが沢山設置されていた。


これらは10月1日の本番まで使えないらしい。というのも、歩いている途中仮設トイレが使えるもんだと思って油断していたら、使えないことがわかり大変な事態を迎えそうになったからわかったのである。本当に危なかった・・・

「東単」の通りをまたぐ歩道橋すっかり祝賀仕様。

その歩道橋を渡っている時に身についたのが下の写真のでかいクレーン。

拡大して画像をしっかり見てもらうと分かるんだけど、なんかワイヤーが遙かかなたに張られている。
ちなみにこのクレーンは中国国産メーカーのものでした。

メーカー名は「柳工」(カタカナ読みでリューゴン)英語名Zoomilion。私同業者なんで思わずチェックしてしまう。
それでそのワイヤーは、天安門の道に沿ってずっと伸びていました。
なのでずーっとたどって歩いていきました。下の写真の中央下にクレーンがあってそこからワイヤーが伸びてる。

そして終点にたどり着いた。終点は「北京贵宾楼饭店」まで来てた。地図でみると約1キロ。

終点もクレーン車からワイヤーを張っていた。

その終点には何かが引っかけられてる。

これおそらくテレビカメラ。実際TV中継を見ていてもこのカメラから撮られているだろう角度から戦車や兵隊が写されていた。なかなか1キロもワイヤーを張ってカメラ撮影しないよなあ。

して、天安門広場に到着する。すごい人だかりだった。観客席も設置され準備万端な感じ。やっぱり中国は「紅」が映えるねえ。

あと面白かったのは、歩道にとめられていた特殊警察の装甲車。


単純になかなか見られないので、見るだけで面白いのだが、笑わせる光景にあったのだこの装甲車。

歩道に装甲車が配置されている珍しさに、撮影スポットと化していたのである。地下鉄の駅の近くで僕がいさめられたように、本来なら撮影を止めさせるべきなのだろうがあまりに撮影していく人間が多すぎて諦めていたのだろう。撮影しても全くおとがめなしであった。