教授

これも去年9月に書いたものの吐き出しです・・・・
最後に「本当に幸せなことだ」って書いてるけど
本当に今でも幸せです。


留学は9月1日から始まっていたのですが、大学側の手続きの遅れ(忘れてただけだと思うが)により、手続き開始前に大学が夏休み(7月1日〜8月31日)に入ってしまったため、日本でのビザ申請が間に合わず、ノービザで15日のみの滞在でスタートした。

4月ごろから、はよやってって言ってたのに!

で、一旦中国に入国し、一連の申請を教授さんがやってくれるのですが 、おいらは全て同行しプッシュし続けた。 毎日のように違う場所に申請に出かけるので移動が多く時間が食われる。
申請業務は、全て教授自らが書類を持ち回りしてやってた。 むこうの手続きが遅れていたとはいえ、これには結構恐縮。
と、同時に教授自身も僕の留学に関し前向きに考えていてくれていることを感じた。 おかげで申請業務は最短の日程で進んだと思う。(それでも全部で1ヶ月かかったけど・・・)
大学内ではハンコはその場で押してくれるし、 政府の書類発行も20日かかるところが1週間になるし。 中国のコネ社会を垣間見れたかもしれない。


毎日のようにあちらこちらへ2人っきりで動くので仲良くなれたので、これはこれで良かったかなと今では思える。 ほんとうに、いい方です。
56歳で大学の偉いさんなのにあっちこっちに奔走してくれて。中国のえらいさんは尊大な人間ばかりというイメージが若干あったのだが、すっかりそんなことは忘れさせてくれた。

そうした間に教授さんと何度か食事していたのだが、教授さんに関することを色々聞けた。
年代的なところで教授時代に「文化大革命」を経験したということ。 細かい話は聞いてないけど、教授だったのにいきなり農村に送られ、農民として再教育をうけることとなったとのこと。
かなり辛い出来事なのだと思うが、さらっと言ってのける。
「元々料理を作るのが好きで、農村では料理人をやってたよ!」と楽しそうに話す。

大きな人。

それからこの教授片言の日本語話す。
大学の時の第2外国語が日本語で、また15年ほど前に日本で1年ほど働いたことがあるとのこと。 去年、僕と大学側の交渉がうまくいってなかったので、一度大学に乗り込んだ。
そのとき初めて教授に会ったのだが、いきなり日本語で話されてひっくり返りそうになったのを覚えてる。 それまで半年くらいは、英語のメールでずっとやりとりしてたのに・・・
それからのメールは殆ど日本語で書いてくる始末。 英語より日本語の方がうまいのだ。(というか、教授は英語下手・・・)

今でも僕に話しかけるときは、かならず日本語で話してくる。 かなり片言なので、結構たいへん。 まったく中国語を知らないひとが話すと、細かいところの意味は誤解してしまうくらいのレベル。 日本語を話したくて仕方がないのだろう。なんせ話す機会が帰国以来無かったというから。 日本のこと非常に好きみたい。

ともあれ、こんな方と知り合えて光栄に思うのと同時に非常に縁を感じる。
この教授の元で、研究生として一年半中国で過ごせることは本当に幸せなことだな。